2021.4.26
Dr.深堀のラジオde診察室 2021年4月24日 共感疲労
「共感疲労」とは、何か辛いことが起きた人の苦しみや悲しさに共感し過ぎて心が疲弊してしまうこと。

  どんな人が陥り易いのか?

  共感性が高く感受性と想像力が豊かな方や子供。

職業的:医療従事者の方、介護福祉関係の方、災害ボランティアや救急救命士の方、そして消防士の方。

  相手に左右され共感疲労になっていくのは、課題の分離が出来ていなかったから。

始めに課題の分離について。 課題の分離は、自分だけで今日から出来るテクニック。

自分の課題:自分がコントロールできること

他者の課題:自分がコントロールできないこと

変えることが出来ない「他者」の課題に関わっても意味がないので極力関わらない、変えることが出来る「自分」に視点を集中する。

:自分が一車線の道路を車で運転している時、前にすごくゆっくり走っている車がいたとします。殆どの方は前の車が邪魔だと感じて、イライラしたり腹を立てたりしますよね。ですが、前の車が法定速度程度でゆっくり走るのは、その人の自由。前の車に対してもっと速く走って欲しいと腹を立てる主な原因は、自分のエゴや都合。ということは、腹を立てること自体おかしい。「もう少し早く走ろう」とか、「後続車の迷惑にならないように走ろう」という発想は、相手すなわち他者の課題であって、こちらからはどうにも変えることが出来ないので、怒るだけ損。

親子関係について

親子の関係においても課題の分離はむしろ必要。

なぜならば、親子というのは、血縁関係がつながっていても別人格、親が子供の・子供が親の人生を生きることはできない。課題の分離ができていないと、過保護・過干渉・虐待・無視・放棄と繋がり、挙げ句の果てには、親子もろともに自分の人生を見失ってしまう。世の親たちは、頻繁に「子供のためを思って」という言葉を使うが、「子供のため」ではなく親たちは世間体や見栄あるいは支配欲といった明らかに自分の目的を満たすために動いている。その欺瞞に気がつくからこそ、子供は反発する。親にできることは、子供を見守る・何か助けてほしい時はいつでもサポートする準備ができているということを伝える。知らない事を教えてあげて、知った後どうするかは子供の判断に任せる。

例えば子供が「弁護士になりたい」って言った場合、弁護士になる為に必要な勉強の仕方を教えてる。強制せずに行動の意味を教えて、提案をする。それから後の判断は子供に委ねるということ。親の価値観を押しつけた形で教育はしない。

子供の人生なのだから、やるかやらないか・やり方も子供の自由です。子供は、親の期待を満たすために生きてるんじゃない。

親友や同僚対して、対等の立場で相手の価値観を尊重しようとします。子供も未熟な人間だと見下すことを辞めて、強制ではなく提案。

「親子こそ課題の分離が大切である」

  さて本題、

共感疲労を防ぐには課題の分離

  相手が落ち込んでいたのは相手の課題であって、自身の課題ではない。自分ではどうにもコントロールできない他者の課題に介入して他者の課題を抱え込んでしまうことは、自らの人生を重く苦しいもの。自分の課題としてはせいぜい話を聞いてあげる程度のことで、それ以上は、境界線を引いて介入しないようにする。自分がやるべき事と、他人がやるべき事を切り離して考え、相手を信じ余計な感情的介入はしない。実は「信じる」という行為もまた、課題の分離。相手のことを信じること、これは自分の課題。しかし、自分の期待や信頼に対して相手がどう動くかは、他者の課題。問題は、相手が自分の希望通りに動いてくれなかったとしても、なお相手を信じられるかはまた別の話。もし対人関係で悩んでおられるとしたら、まず「ここから先は自分の課題ではない」という境界線を知ること。他者の課題は切り捨てる。それが人生の荷物を軽くし、人生をシンプルなものにしてくれるコツ。「他者と過去は変えられない。変えることが出来ないことを、クヨクヨ考えても無駄である。でも、自分は変えることは出来る。自分が変われば未来が変わる。自分が変われば相手の心が変わらなくとも相手との関係性に変化が出る。そのようにして未来は自分で変えることが出来る」

今週の格言

『水辺に馬を連れていくことは出来るけれども、馬に水を飲ませることは出来ない』

Byアルフレッド・アドラー

今夜の曲は、Thasaint (ダザント)で『Can I Luv you』・『Get up on it」

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